かつて日本一を誇った鹿角市の尾去沢鉱山の開発に尽くした人たちについて学ぶ講座が地元で開かれ、受講者たちが努力にふれました。
これは古里の偉人を紹介している鹿角市毛馬内の博物館「先人顕彰館」が今月10日に開いたもので、市民およそ20人が集まりました。
施設の研究員をしている鹿角市尾去沢の石坂久夫さん(74)が講師を務め、尾去沢鉱山の開発に携わったおよそ30人を紹介しました。
石坂さんはおよそ千300年と言われる尾去沢鉱山の歴史のなかで、江戸時代より前は、地元を支配した権力者や、個人の採掘請負人によって経営されていたこと、江戸時代以降は藩から経営権が委任された人たちが管理していたことを説明しました。
また、鉱物を見つける「山師」と呼ばれる人たちのなかで最も位の高かった「山先(やまさき)」として、尾去沢には代表的な5つの家系があることを示しました。
そのなかで、尾去沢発展の基礎をつくった青山金衛門や、鉱山の水抜きの樋を発明した川口富教(とみのり)、人材配置や労務管理のルールをつくった奈良養斎(ようさい)などの働きを紹介しました。
ほかに、明治初期に起きた、鉱山の没収による、日本最初の司法と行政の激しい対立に発展した事件についてもふれ、村井茂兵衛(もへえ)が銅山を失ったあと、政府に立ち向かった様子を解説しました。
訪れていた能代市の30代の男性は、「日本史の教師をしていますが、江戸時代の鉱山町の人物を深く知ることができ、とても有意義だった。授業の教材に役立ちそうだ」と話していました。
石坂さんは、「尾去沢鉱山は、日本を、鹿角を育ててくれた存在です。公開の完全終了の話も出ていますが、名前が忘れられずに残っていくよう伝えていきたい」と話しています。

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