故郷の集落の歴史を調べる 鹿角市の男性

故郷の集落の歴史を調べる 鹿角市の男性

 生まれ育った集落にスポットを当てて、歴史などを調べた鹿角市の男性が、地元の人たちに披露し、関心を誘いました。

 町の案内人の活動などをしている鹿角市毛馬内下小路上の田子善章(たご・よしふみ)さん(78)です。末広の集落、神田(しんた)に、結婚前の24歳まで住んでいました。

 その神田が、かつて白根金山に近かったため歴史や文化が豊かで、また米代川の水運と街道が通る要所でもあり、特別な場所だと感じていたことから、調べ、まとめようと、去年立ち上がりました。

 鹿角市の市史や村史、図書館や博物館に残る資料などを調べ上げ、13ページの冊子にまとめました。

 集落が登場する最古の記述は、鎌倉時代に、現在の集落の南側に「碁石館(ごいしだて)」と呼ばれる城があったというものです。

 また街道は古くからありましたが、「米代川の舟渡し」と「紀ノ国坂」という、難所が2つも一つの集落にあったのは特徴的で、舟渡しの場所が3度も変わったことなどをつき止めました。

 集落の周囲には、水、まきや炭、家畜のえさになる草などの源の山があり、鉱山もあり、田子さんは、「まさに宝の山だった」と表現しています。

 人々の暮らしにも焦点を当てていて、屋根のかやのふき替えについては、「村中から人々が集まる共同作業で、相互扶助の時代でした。子どもも手伝い、大人と一緒の一丁前の昼食のふるまいは、ぶりっこの入ったニシンで、おいしかった」と記しています。

 人のつながりが強かったことも特筆しており、青年会には交流や村の決まりの指導の機会として、「もーし」と呼ばれる場があり、「若い男女がわら小屋を建てて、その中で慰安交流を楽しんだ」と紹介しています。現代こそ必要な場面かもしれないことを示唆しています。

 今月19日、集落の人たちにこれらを発表する機会があり、話しを聞いた80代の女性は、「懐かしい話がたくさんあって、うれしくなりました。かつてと比べて地域の人たちが集まる機会が減っていて寂しいので、たまにでも集まれるといい」と話していました。

 田子さんは、「嫁に行くなら神田と言われたほど、裕福で、文化もある、特別な土地だった。歴史に目を向ける、人のつながりをつくる種をまきたい」と話しています。

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