【ひと】鹿角の野球界を支え50年 三上豊さん

【ひと】鹿角の野球界を支え50年 三上豊さん

 鹿角市野球協会を立ち上げ、50年間支えてきた男性が、一線を退きました。地元野球界のために情熱を燃やし、野球がつくる、人のつながりを大切にしてきました。

 鹿角市大湯の三上豊さん、79歳です。今月7日の総会で、22年間務めた会長から退きました。会長を22年務める人など、そういません。事務局時代を含むと、51年間、組織を支えてきました。

 シーズン中はほぼ毎週、大会で役割をこなし、秋田市での会合の参加などもありました。それでも交代したいという気もちは一切なかったそうです。「野球で自分を成長させてもらった。還元したい」という思いが勝っていました。

 昭和48年の市体育協会の設立時に、ほかの競技にはあった市単位の組織が野球にはありませんでした。市のスポーツ担当の職員で、体育協会の事務局という立場もあり、当時の体育協会会長の特命を受け、立ち上げに奔走したのが始まりです。

 当時盛んだった朝野球のメンバー、中学校の監督たちに声を掛けると、「待ってました」と一致団結しました。当時、社会人のチームだけで47もありました。スポーツをしようと言えば、まずは野球だった時代です。

 昭和50年に市野球協会が設立し、記念の大会を企画しましたが、長期間にわたる大会で使えるグラウンドがありませんでした。長年放置されていた2か所に照準をしぼったものの、使用許可の依頼先は、遠い、横浜の不動産会社。トラクターで整地し、破れたバックネットをつなぎ、大会前日は車のライトを当てて遅くまで整備しました。

 情熱的な人。三上さんをそう形容する人が多くいます。だれかのためを思うことは特にそうで、大会後の講評の長さは象徴の一つです。プレーを細かく取り上げ、努力が足りないことは遠慮なしに苦言を呈し、選手たちの良いところは、うんとほめました。

 「野球は人のつながり」。そう強く感じているそうです。昭和54年の城山、56年の毛馬内の球場建設、昭和56年の中学校の選抜大会の設立、平成22年の城山野球場のリニューアル。いつでも協会の会員たちが、職場や立場が違っても、野球というつながりのもと、頼まれたこと、困っていることがあれば、支え合ってきました。

 理由は、「野球選手たちが、練習の基本、キャッチボールを大切にしているから」と考えています。ただ投げるのではなく、相手が捕りやすいように、思いやって投げる。それが根底にあるため、毎週、休日を返上して球場に集まり、汗を流していると考えています。

 近年の地元の野球界では、鹿角高校の活躍を頼もしく思っています。いっぽうで、大会乱立の子どもたちへの悪影響を懸念しています。「野球を楽しむ、野球が楽しいという本来の姿を大切にしてほしい」と願っています。

 勇退した今、情熱を注いで育ててきた協会の後輩たちを、「自慢のメンバーに育ってくれた」と頼もしく思っています。「人のために一生懸命になれる人間ばかりだ。キャッチボールの大切さを分かっている」と、目じりを下げてほめています。

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