鹿角市の伝統行事で、ユネスコ無形文化遺産の「花輪祭り(花輪ばやし)」が、これまで知られていたよりも50年あまり早い時代に行われていたと推測できる古文書の記述が見つかったと、地元の郷土史家が発表しました。
これは、花輪祭りを研究している鹿角市花輪谷地田町の郷土史家で、市歴史民俗資料館の館長、藤井安正(やすたか)さんが今月発行した論文で示したものです。
盛岡藩の家老の日誌「雑書(ざっしょ)」を読み深めた結果、新たな発見があったとしています。
現在の鹿角市毛馬内にあった代官所の代官から来た手紙の内容を記録した寛延2年(1749年)の記述のなかに、毛馬内祭りについて、「先年より正徳4年(1714年)まで、隔年であった」と記されています。
鹿角市教育委員会のこれまでの調査では、明和2年、1765年に書かれた古文書から、花輪祭りと毛馬内祭りがその時点で、隔年で交互に行われていたことが分かっていました。
今回見つかった記述に花輪祭りという表記はありませんが藤井さんは、「明和2年の古文書などを踏まえると、ここでも花輪祭りとの隔年という意味と断定していい」と話しています。
さらに今回見つかった記述の、「先年より」という表記から、「書いた家老が起源を知らないくらい、祭りが古くから行われていたことが読み取れる」としています。
そして、「花輪祭りがとても古くからあったとあらためて感じている。歴史、経過を知ることができる古文書がまだまだあって、ひも解く余地がありそうだ。調べていきたい」としています。
いっぽう毛馬内祭りについては、同じく雑書の承応2年、1653年の記録のなかに「月山御祭」という表記がみつかっており、藤井さんは、「屋台(山車)が出ていたかは不明だが、江戸時代前期に毛馬内祭りのルーツがすでにあったことが分かる」としています。







