鹿角市の伝統芸能「花輪祭の屋台行事(花輪ばやし)」について日本の民俗学の権威が講演し、祭りとはやしがほかに類のないものだとし、誇り、伝承していくことを呼びかけました。
講演は27日夜に花輪のホテルで開かれた祭りの決起大会で行われたもので、講師を務めたのは、15年ほど前に、花輪ばやしの国重要無形文化財への指定に向けた調査を中心であたるなどし、現在は日本民俗学研究会の会長も務める大石泰夫・國學院大学教授です。
冒頭で大石教授は、「国の文化財の名称が花輪祭の屋台行事になったが、そんな呼び方は聞いたことがない、花輪ばやしと呼んではいけないのかと地域で言われている。きょうはそれに応えたい」ときりだしました。
指定の名称のいきさつについて、「花輪ばやしでは芸能、はやしだけが対象になる。花輪ねぷたに始まり、花輪の町踊りまでの1か月半続く祭りを表す名称にした」と説明し、また、「国は指定名称で呼べとは決して言わない」とも添えました。
いっぽう、以前の祭りにはあった、はやしを演奏しない屋台がなくなったのに対し、はやしの屋台だけが残り、しかも10台に増えていったことを取り上げ、「この町の人たちは、神さまにはやしを奉納するということをとりわけ大事にした。このことがほかの地域の屋台行事と異なる大きな特徴だ」と指摘しました。
また、神さまが祭りの間に鎮座する場所を変えていくのに対し、屋台もそれにあわせて巡行し、はやしを奉納する、「朝詰(あさづめ)」などの3つの行事があることについて、「重要な要素であり、ほかにはない。国指定になった理由だ」と説明しました。
そして、「神さまにはやしを奉納して感謝の意を伝えることを長い間、形を変えながら、大事にしている。そのことを忘れず、これからも見事なおはやしをそれぞれの町内でけいこし、競い合い、伝承し、この祭りを堂々と花輪ばやしと呼んでほしい」と伝えました。
講演を聞いた50代の男性は、「自分たちがやっていることが貴重なことだと教わって、うれしくなったし、励みになった。原点を大事にしたいし、若者や子どもたちが受け継ぎたいと思ってくれるあり方についても考えたい」と話していました。
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