昭和11年に鹿角市尾去沢で鉱山のダムが決壊しておよそ360人が死亡した事故から20日で88年となり、地元の寺では犠牲者を供養する法要が行われました。
尾去沢では昭和11年に、鉱山のダムが決壊して中心市街地が大量の泥水に押し流される事故があり、死者と行方不明者あわせておよそ360人、被災した家屋千600軒あまりという甚大な被害をもたらしました。
被災地のすぐそばにある圓通寺では、犠牲者を供養しているとともに、事故を地域の人たちの記憶に残そうと、最初のダムの決壊があった11月20日に毎年、法要を行っています。
事故から88年が過ぎ、地元でも関係する人が減っていますが、ことしも遺族などおよそ10人が集まり、住職がお経を読み上げるなかで手を合わせていました。
また境内のお堂には、死者の数と同じ数の木彫りの観音像が家族単位で置かれており、お参りに来た人が参拝していました。
祖母など家族3人を亡くした70代の男性は、「地獄をのぞくような光景だったと両親から聞いています。慰霊祭への出席も減っているし、風化は避けられないが、尾去沢の大事な歴史として語り継いでいけたらいい」と話していました。
遺族だけでなく地域の人たちにも大きな出来事であり、祖母が地元に住んでいたという70代の女性は、「遺体が上がるたびに、洗いなさいと言われて、怖かった。もう思い出したくないと言っていたそうです。地域のみんながつらかったと思う」と話していました。
法要を続けている圓通寺の菅原芳徳(ほうとく)住職(48)は、「これだけ各地で天災が起きているので、記憶としてとどめておくことは大事だと思います。供養と、復興の力を次の世代につなげる大事な日にできるといい」と話しています。
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